会社概要・イベント情報

会社概要COMPANY

会社名 株式会社ビルドアンプグループ
屋号 PEACE SKETCH(ピーススケッチ)
代表取締役 北村 英彦
本社所在地 〒780-0833 高知県高知市南はりまや町1-16-17
電話番号 088-882-3938
営業時間 10:00~17:00
定休日 土・日・祝
資本金 1,500万円
創業年 1948年(昭和23年)
法人設立年 1977年(昭和52年)
決算月 1月
事業内容 GOTS認証オーガニックコットン製品の製造・販売

本社アクセスACCESS

JR⾼知駅より⾞で3分(駐⾞場あり)
とさでん交通『はりまや橋駅』より徒歩3分

イベント・ポップアップ情報EVENT

桂浜公園内
ポップアップストア出店

日時:2024年7月12日(金)~15日(月)
時間:10:00~16:00
場所:桂浜公園
   (〒781-0262 高知県高知市浦戸6)
詳細:海のテラスSHIP‘S MARKET内イベントスペースにて開催

the groceries shop Loka
ポップアップストア出店

店名:the groceries shop Loka
時間:10:00~16:00
場所:高知県高知市帯屋町1-6-1
    高知大丸東館5階
詳細:高知大丸東館5階 OMACHI360内にて出店中

代表あいさつGREETINGS

中小零細企業の経営者は、
「自分の人生にスタッフを巻き込んでいるようなものだ」
だからといって大きなプレッシャーを感じているわけでもない。
倒産させてはならない。売り続けなければならない。スタッフを守らなければならない。
申し訳ないが、そういった事も殆ど考えたことが無い。
酷いモノで、若かりし頃は「売らなきゃ給料払えないんだよ!」
「上手くいかない」 「思うようにならない」 「人も集まらない」
「チクショー!」 「コンチクショー!」 「コノヤロー」の連続である。
綺麗なことなど思いつくわけがない。
気持ちなんて備わっていない。腹でしか考えていない。
腹の中はドス黒くドロドロ。

高校一年の時に留年。別に悪さして留年したわけではない。
身長を伸ばしたいからタバコも吸わない。事故して死ぬのが嫌でバイクも乗らない。
結果、私は大学4年までずっと自転車ぜよ。
留年の原因は単に数学の点数が足りなかった。追試受けても足りなかった。
なんせ一学期の中間テストでの数学の点数が9点。
期末テスト0点。 二学期の中間テスト6点。
それ以降の点数は記憶にない。(数学を教えてくれる先生が嫌いだった。)
中学の3年間(実質2年間)は卓球部に在籍していたが、真剣に部活に取り組んだこともなく。
中二の終わりから卓球も嫌になり、中3に上がる手前から部活に行かなくなった。
部活が嫌だったのだと思う。
中3のある時の試験で、クラスでビリケツになった。
何故かその時は成績順位が貼りだされた。
中学の3年間は暗黒の時代だった・・・記憶が殆どない。
自分が高1になったとき。翌年に高知で卓球の全国大会が開催されると聞いた。
なにやら地元開催だからか、予選で決勝まで残った二校が全国大会に出場できるらしい。
全国大会・・出てみたい。
中二の1月の新人戦を最後に部活に行くのが嫌になり。
私は黙って部活を一年サボっている。
「もう一度卓球させて下さい」と厚かましくお願いし、部活に復帰させてもらうが監督も誰も相手してく
れない。
それでも「俺は全国大会に出るんだ!」 と気にせず一人で全国大会を目指し始めた。
「全国大会」という響きが良かったのか。
中学校受験以来、久しぶりに「目標」が芽生えた。
と、言えば聞こえが良いが・・ちなみに中学受験も殆ど勉強してない。
小5で塾に通い始め、小6に上がる時点には塾を辞めていた。
結局、勉強しなくても受かりそうな学校を選んだわけだ。
どうも決められた日時に毎回同じように何かに通う事が苦手・・・不自由な感じが嫌だった。
(根気がないとも言う)
全国大会の団体戦のレギュラーになる為には同学年で一番であることは必須、その上に2年生4
人の内の2人を打ち負かし、追い抜かなければならない。
その一年は朝から晩まで、寝ても覚めても「卓球漬け」の一年。当然、勉強をする余裕などどこにもな
いし、する気もない。 「全・国・大・会」 この四文字だけに生きた一年だった。
その時も、身長を伸ばしたいので過度の筋トレは控えていた。
前述の通り、私は留年してしまう。
「俺が!?・・・留年!!」 (状況把握力ゼロ)
この時ばかりはバカな私も三日間部屋に籠ってこれからどうするかを考えた。
「学校を中退して働くか」
「地元の違う高校へ編入するか」
「県外の学校へ転校するか」
「もう一度、同じ学校へ行くか」
いくら考えたところで、どれを選んでもどれも嫌だから決められない。
引きこもって三日目の夜、部屋の扉のノックオンと同時に父親の顔が見えた。
父曰く 「お前、ここで逃げたら一生逃げることになるぞ」 その一言だけを残して扉をしめた。
その言葉を聞いた後に、友達や人目を憚る自分が想像できた。
「それは嫌だな・・」 私はもう一度同じ学校へ行くことを決めた。

大学の受験のときも、クラスの副担任の先生が私の様なダブりに
推薦枠で京都のある大学へ行かないか?とお話をくれた。
私が通っていた学校の学力から考えると割に良い学校だったが、
私はどうしても東京へ行きたかった。東京以外の土地へ行くつもりが無く、東京以外は嫌だった。
だから丁重に断った。
大学の卒論はゼミで習ったことに関連したことを題材にして書かなければいけない。
しかしそれも嫌で勝手に当時マイブーム「キリスト教と仏教の比較宗教学」を題材に
卒論を書いた。
ちなみにゼミは「農業を主とする産業社会」を勉強するゼミぜよ。
就職活動時期、ネクタイを締めることが嫌で活動せず。グラフィックデザイナーにどうしてもなりたくて
(ネクタイも締めなくていいし)大学卒業後に1年間だけのグラフィックデザインの専門学校へ行か
せてもらった。
結局は専門学校の卒業を待たず、知り合いのカメラマンさんに紹介してもらった恵比寿にある小さな
広告代理店へ「グラフィックデザイナーの見習い」として採用してもらった。
給料は10万円だった。
10万という給料が安いと思われるかもしれないが、私はグラフィックの仕事は全く何もできない。
逆に10万円頂きながら教えてもらっている感覚だったが・・・めちゃくちゃ忙しかった。
25歳のときに広告代理店を退職し、故郷に帰り家業の商売で雑貨屋を任される事になる。
なにやら雑貨屋の売上が芳しくないと聞く。そのうちに雑貨屋の店長を任されることになるわけだが、
先ず品揃えしている商品が嫌で気に入らない。当時、取引させて頂いていた取引先様の7割に電
話で取引のお断りをいれた。そこから自分が良いと思う取引先様を開拓して取引をさせてもらうように
してもらったが・・・暫く営業してみたら、取引をお断りした会社様の商材が欲しくなり数社に再び取引
のお願をしたら1社を除き全て断られた。まぁ当然の結果である。
その雑貨屋が初めて私が担当した店舗だ。
以来、35年。約44店舗のお店を開店しては閉店した。現在店舗は1店舗も無い。
所詮は両親が築いた商売、いつしかその商売も古くなり立ち行かなくなる。
親ガチャで商売をさせてもらってきたツケを払わされるわけである。
商売を継がせてもらい、何が一番嫌だったかというと、「自分が創業者で無い事」だった。
これは相当な不安を掻き立てられた。
自分が無一文から独立したとしよう、継がせてもらっている会社と同等規模の会社へと成長させるだ
けの商才と実力があるのだろうか?
自分じゃない、違う人でも自分と同じかそれ以上の結果を残せるのではないか?
たまたま生まれた家が良かったから、今の自分があるような気がしてならないのである。
事業の大きさに関係なく「小さくても自分で店をやっている人」 「独立した創業者」がとても羨ましく、
眩しく見える。
自分が嫌になる。でもどうしようもない。
世の中にインターネットというものが現れ「アナログからデジタル」へと大きく時代が動く。
その後、直ぐにインターネットを使って買い物が出来る時代になり、併せて大型のショッピングセンター
が地方に進出。巻き網漁法のごとく大量にお客様を捕まえた。
小さな会社が運営する店舗、商店街は見事に衰退し、我々が運営する店舗もご多分に漏れず売
れなくなってゆく。
店舗も売れない、安くないと買ってくれない、人口も減ってゆく。
店舗には見切りを付けよう。全ての店舗を閉めよう。
修理しながらでも長く乗ってきた船も今や限界が近付いてきている。小さくても新しい船に乗り換えな
いと・・・そんな感じだった。
それは嫌な自分との別れを意味する出来事だ。
幸いにというか・・・お店が売れなくなってしまい、全く新しい商売を始めなければならなくなる。
否応にも自分が創業者の如く、全くノウハウを持ち合わさない仕事であると同時に、自分が「やりた
い」と思う仕事を見つける事ができた。
店舗を全て閉店して3年。
今の商売の芽はまだまだ出そうにもない。
しかし、もう今更「沢山売れそう」とか「流行りそう」といった動機で商売が出来なくなってしまっている。
それらの動機での商売は既に経験済みだ。
そこへ戻るなんてまっぴらごめんだし、なんせ嫌だ。
自分が嫌だと思ったことは出来ないし、やりたくない。

劣等生を絵にかいて、竹で割ったような人格だ。

最後に。
圧力や威嚇、力をやたら振り回す奴は嫌いだ。
簡単に誰でも出来る事も嫌だ。
目先の利益に飛びつく事も嫌だ。
皆が行きたがる方へ行くのも嫌だ。
過去に拘るのも嫌だ。
企業や事業の価値観、文化を大切にしてお客様を魅了したい。
「嫌だ」は私の大切な価値観を形成してくれたように思う。
おわりぜよ。

北村英彦