大変お世話になった方の訃報をしったのはグーグルの検索からだった。
生前、その方の強烈な個性と、ユーモアのセンスと溢れんばかりの優しさと口の悪さに度肝を抜かれたものだった。
もっと早くに連絡をとって、お会いしておくべきだったととても後悔した。
故人と私はもう10年以上お会い出来ていない。
どうやってお墓の場所を教わろうかと思案していたところ
奥様からとっても素敵な死亡通知状を頂いた。
謹啓
師走の候
皆さまにおかれましては ますますご清祥のこととお慶びもうしあげます
かねてより病気療養中でした 夫 〇〇〇〇ですが 去る令和六年九月〇〇日
七十九歳にて穏やかに人生の幕をおろしました
故人の生前の強い遺志により 近親者のみで十月二日に葬儀をすませた後
十一月三日に 納骨式を済ませましたので ご報告申し上げます
本来であればすぐにでもご報告すべきではありましたが
ご報告が遅れましたこと 深くお詫び申し上げます
わがままで口が悪く 皆さまにも大変なご迷惑をお掛けしたことと思いますが
夫ならではの 最上級の愛情表現とご理解頂けますと幸いです
どこまでも自らに正直に 情に厚く たくさんの人を愛し
それ以上に時代に愛され 多くの方に支えられた最高の人生
息を引き取った際の安らかで穏やかな顔は
皆さまのおかげで最高の人生を歩ませて頂いた証だと強く感じております
改めて 生前のご厚情に対し 厚く 厚く 御礼申し上げます
なお夫も久しぶりに皆様のお顔を見たがっているかも知れません
現在は 〇〇に御座います〇〇寺というお寺におりますので
お時間許しましたら ぜひとも会いに来て頂けますと幸いです
最後に 皆様のますますのご健勝を心より祈念申し上げます。
一月、私は故人に会いに出かけた。
お寺は1635年に開山された由緒あるお寺だ。
閑静な場所に決して大きくなく、派手でもなく、かと言ってうらぶれているわけでもなく
凛として佇んでいる立派なお寺だった。
私はお寺の事務所でで故人の眠る場所を訊ね、人を探すようにして場所を探した。
「このあたりのはずだが・・・」と目を向けた先に・・・
ごくごく一般的な大きさので作られた、瀟洒な黒御影のお墓。
そこに華奢な青紫のリンドウの花が一凛ずつ、スっと手向けられ
大好きだった黒霧島のお酒が供えられていた。
それは、その全てが故人そのものであり、
そこに故人が本当に居る感じがしてしまい・・・
跪き、手を合わせると今までにない不思議な感覚で・・・
故人と実際に会話が出来ているようで・・・
私は、久しぶりにお会いできたことがとても嬉しく、
感謝とお詫びと近況を伝えると、自然に涙が滲んできたのでした。
お墓と言うものは「有れば良い」わけではなく、
その人そのもであり、
その人を感じれるお墓こそがお墓であり、
お花で有り、
お供え物である。
私は、お墓というモノがこんなにも大切なモノだという事を始めて知り、
教えて頂いた。
なんとも形容のしがたい不思議な感覚で・・
何でも話が出来て、またここへ会いに来たいと強く感じ、
とても安らかな気持ちさせて頂けたのでした。