ヘーゲルの言葉。
独創とは「蓋然の先見である」
これは「後になってみれば、それはそうなって当たり前だった」ということを指すらしい。
夏目漱石が小説『夢十夜』の第六夜(第6話)の中に綴った言葉に・・・
「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた」
「あれは眉(まみえ)や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」
運慶は仁王様を彫っているのだが、まるで木の中に埋まっている仁王様を掘り出しているかのように見える。
元々は木の中に仁王様がいるんだ・・・と思ってしまう。
「守破離」
守・・・伝統を守る 教えを守る
破・・・それまで当たり前とされてきた概念や教えだけでは生き延びれない(勝負にならない)。
その教えを超え、破らねばならない。
離・・・「本当の法則」「新しい法則」とは何なのか?そこで初めで独創が生まれる。離れて初めて一家を成す。
西澤先生が書いた本の中にこんな件ががあります。
「君たちの言う自主性とは、自主的に自主性を放棄することである」
要するに若い研究者が「人に言われてやるのは研究ではない」と、私の言ううことをきかない。
何をしているかと思うとアメリカの真似をしている。
人に言われないで自主的に真似をしているのである。(真似び)
私もそういった「若い人」だった時代があるわけでして・・・耳が痛いわけです。
御飯を食べていけるだけの仕事ならいくらでもあるわけでして。
商売も必ず100点を取らないと、やっていけないわけでもないわけです。
(誰かの真似しても一時期は食べていける。)
そんな中から「何か一つの仕事を選ぶ?選んでる?」
「運命は性格のなかにある」
「自主的に自主性を放棄することである」
人は本当に不思議です。