これは、最近の筆者の問いです。例えば、組織には多くの場合、達成すべき何らかの目的があります。それ自体を、否定するつもりはありません。しかし、その目的を達成するために、そこにいる一人ひとりが、自分の心や個性を殺したり、まるで替えがきく機械の部品のように扱われたりする──そんな組織や、こうした考え方を常識とした社会は、生きていて何だか息苦しいものです。
そんな問いを持って2025年6月に編集部が訪ねたのが、東京・西国分寺で2008年から続くカフェ「クルミドコーヒー」の店主である、影山知明さんです。
影山さんは、2017年には隣駅の国分寺に「胡桃堂喫茶店」をオープンしたほか、「安心と冒険とが同居する一人ひとりの居場所」を目指した「ぶんじ寮」や、地域通貨「ぶんじ」の運営など、国分寺の地域を舞台に多様な取り組みを行っています。
こうしたさまざまな試みを通して影山さんが創ろうとしているもの。それは、社会や組織の目的を達成するために人が「手段」とならず、ひとりひとりの個性が最大限に活かされ、その人にしかできないユニークな仕事をそれぞれが成しながら、人と人とが共存するような社会です。
影山さんのそうした考え方や、カフェを中心としたこれまでの取り組みの中でそれをどのように実現しようとしてきたかを余すところなく綴ったのが、2015年に出版された『ゆっくり、いそげ カフェからはじめる人を手段化しない経済』、2024年に出版された『大きなシステムと小さなファンタジー』の2冊の著書。
その中で書かれているのが、「人を手段化しない経済」を実現するための第一歩としての、「人を活かす経営」の在り方です。
影山さんが考える、人を活かす経営とは具体的にどういうことなのでしょうか。それを表す印象的なエピソードが、2冊目『大きなシステムと小さなファンタジー』の第1章に書かれています。2024年6月、クルミドコーヒーで13年間勤めた社員の方が退職することになりました。クオリティの高い料理やお菓子づくりをはじめ、献身的にお店を支えていたその方の存在はとても大きかったため、残されたメンバーはこれからどうしようと途方に暮れたそうです。
一般的な組織なら、その人がしていた仕事をそのまま引き継ぎ、お店の経営に支障が出ないように必死に体制を整えようとするでしょう。場合によっては、同じような仕事ができる人を新たに採用するかもしれません。
しかし、クルミドコーヒーの場合は違いました。影山さんは、「お店を守らなきゃ」とプレッシャーを感じていた2人の社員に対し、「フードメニューをお休みしよう」と提案したそうです。そんなことをしたらお客さんをがっかりさせてしまうし、売り上げだってどうなるか……当然ながらそんな心配をする2人に、影山さんがかけたのは、こんな言葉でした。
「いいのいいの。こういうときに立ち返るぼくらのスローガンは『仕事に人をつけるのではなく、人に仕事をつける』じゃない?」
それから、影山さんは資金調達に奔走し、メンバーは新たなお店の在り方を必死に模索しました。実際にフードメニューをお休みした7月には売り上げも落ちました。それでも、あらかじめ決まった「お店の形」に人を合わせるのではなく、そこにいる「人」の良さを活かして、お店の新たな形を作っていく。
そんな考え方を大切にした結果、大変な側面はありながらもチームは健やかで、影山さんはお店を立て直していける希望を持つことができたそうです。それぞれの頑張りもあり、翌月には売り上げも回復しました。
もうひとつ、印象的だったエピソードがあります。取材後、「クルミドコーヒーでは日々どんなコミュニケーションをしているのか」と尋ねた筆者を、影山さんは社内の定例会に誘ってくれました。そこで実際に会議を見学させてもらうと、「自分たちの仕事がお客さんにどう受け取られるか」が、とても丁寧に話し合われていたのです。
「このメニューを減らしたら、これが好きだったお客さんは何を頼むかな?」「いつも何気なくしているあの動作が、お客さんに無意識の圧をかけているかも」「あの言葉はお客さんを不安にさせてしまうものだったから、次は変えたい」「この発信は、〇〇さん自身の言葉で個人として書いてくれた方が自然に届くんじゃないかな」……こうした対話から感じられたのは、働く人と同じように、お客さんもまた一人ひとり体温を持つ「人」であるということを、メンバーそれぞれが大事にしているということ。
クルミドコーヒーにとっては、お客さんも決して目標として数値化できるものではなく、売り上げを立てるための「手段」でもないのです。
こんな風に、働く人も、仕事を受け取る人も、その両方が手段にならず、生きた「人」と「人」として存在する。その関わり合いに対する感謝の交換が「お金」という形でめぐって、「経済」や「社会」になっていく。
クルミドコーヒーの営みを見ていて感じるのは、そんな社会を創ることは、まずは自分と目の前の人との関係性を問い直すことから、始められるのではないか、ということです。自分や目の前の人を、何かの目的を達成するための手段のように捉えていないか。自分は、自分のどんな個性を使って、目の前の人とつながれるだろう。こうした小さな問いが、個人から組織、そして社会へと少しずつ広がっていくことで、全ての人が活かされながら共に活きる社会が、立ち現れてくるのかもしれません。